2010年折り返し。
今年度は本当にばたばたと慌しく過ごしています。あまりに馬鹿な自分に嫌気がさしたり。緊張や日頃の生活への後悔からか、胃がおかしくなったり熱を出したり。気持ちがどんどん後ろ向きになったり。と思いきや、そんな自分も愛おしく感じられたり(2分半くらいだけね)。もうすぐ24歳かあ。信じられない。だってこんなにどうしようもないんだもの、自分。でも、ね、いま目の前にあるひとつひとつのことを大切に、やっていくしかないのかな、って、そう言い聞かせてます。
2010年前期
ついに3年生になりました。だからといって何が変わるというわけでもなく、わたしはわたしの勉強をこれまで通りに淡々と続けているだけ。それでもはじめての大学3年生ということで、すこしわくわくしています。
今年度の目標は「メールを返すようにすること(できれば24時間以内に)」というあまりに適当な酷いもの。メール返すの苦手なんだよね、とくに絵文字文化に生きるひと相手だと。相手を困らせないようにできるかぎり頑張ります。大学のほうは、これまで通りオールSになるよう神頼み(努力はしないのか・・・)で、あとは好きな勉強を好きなだけ好きなようにやっていこうと思います。こんなんで社会人になれるのかな。。。
2010年
2010年になりました。寅年生まれのわたしは3匹目の寅に乗りうつり、あらたな一歩を踏み出します。
「授業はまじめに受けなさい」の理由
授業者になることがあるひとは同感してもらえるんじゃないかな?自分の授業で明らかに授業を聞いていないひとがいると、学ぶ気がないひと相手に自分はいったい何をやっているんだろうと空しくなるんだよね。授業に関係ないことをするひとを責めるとしたら、学生間の問題よりも、授業者のやる気を削ぐことによって授業の質を落とす可能性がある、というところに注目してほしい。大学の先生たちは十分にそれに慣れきっているようで、逆に珍しく全員が聞く気のあるメンバーでかたまったりすると、ふだんの何倍も面白い授業をしてくれたりするんだけどね。授業って先生がひとりでつくるわけじゃないんだ。その場にいるだけで、誰もが授業をつくる一員。…とかいって、いまも授業中に別の予習してたり、ケータイいじったりしているわたしです。
何のため?
朝起きても疲れが抜けない。やることが山積みで、何をやったという感触も得られないままに毎日が過ぎていく。朝布団の中で目を開けて、ぼうっと天井を見つめた。「自分は何のために・・・、いや、そもそも自分はいま何をしているんだろう?」こんな風に自分の足元を見失ってしまうことがある。まっすぐ歩いてはいるんだけど、空ばかり見ている感じ。自分が今どこをどうやって歩いているのか見られない。その日のうちにこの嫌な感覚はなくなった。しばらく悩んでいた統計処理がようやく腑に落ちたり、授業の都合でのんびり構内の庭を散歩したりできたから。疲れているときやうまくいっていないときに限って、「何のため?」というワガママな疑問がひょっこりと顔を出す。まったく自分勝手なヤツなんだ、元気なときには腹の奥底でぐぅぐぅと眠っているくせに。「何のため?」は言い訳探しの得意な脳の仕業。立ち止まって行き先を確認するのは大事だけど、しんどいときの「なんのため?」は何のためにもならない疑問かも、ね。さあ、今日もいろんなために生きていきましょ。